メール便配達業務を軸にした当事者の手による作業所の運営

『なは倶楽部』(沖縄県那覇市)

2.心の通ったアットホームなサービス

なは倶楽部の業務はメール便配達以外にも、障害者の送迎サービスや出張販売、公共施設の管理・清掃、名刺印刷など多岐にわたる。
障害者の送迎サービスを担当するのは儀間光徳さん。

儀間 光徳さん(なは倶楽部メンバー)

いまは身体障害のある女の子と弱視の方の自宅施設間の送迎をしています。自分が誰かの役に立っていると実感できるので、この仕事はとてもやりがいがありますね。日々接しているのでお互いに気持ちが通い合いますし、ご家族の方から感謝の言葉を頂いたりすると胸が温まります。

送迎サービスの利用料は1回でたったの100円。業務というよりはほとんどボランティア活動に近いが、このサービスを利用している障害児の母親は利用料がとにかく安くて助かっていると感謝する。「この子は意思表示がまだできませんが、タクシーの送迎と違ってなは倶楽部のドライバーさんだととても安心するみたいですよ」というように、単に料金だけでは測れない、心の通ったアットホームなサービスも魅力の1つだ。

また、お弁当やパン、飲み物を病院や役所に出向いて販売する出張販売は、なは倶楽部の大きな収益源。パンは那覇市内にある精神障がい者の作業所と南風原町の授産施設が作ったものを仕入れて販売するが、山羊のミルクを使ったパンや生クリーム入り食パンなど手作り感に溢れており、「すぐに売り切れる人気商品」(濱川さん)という。パンの仕入れに作業所に出向いた際も、気心が知れた仲間との気さくなコミュニケーションで会話が弾む。同じ当事者同士が横のつながりを大切にして互いに助け合う精神がここに息づいている。

なは倶楽部は心の拠りどころ

なは倶楽部には2人の副所長がいて、所長の濱川さんを強力にサポートする。その1人が大嶺政則さん。発症は20歳のときで、一般企業に就労していたが、過労と人間関係のトラブルが原因で出社拒否となり、その後11年もの間、引きこもっていたという。その時の苦い思い出を振り返りながら、障害者の就労についてこう語る。

大嶺 政則さん(なは倶楽部・副所長)

統合失調症の人は就労しても頑張りすぎてまた再発することが多いんです。そのことも含めて理解してくれる雇用主でないと働き続けていくというのは難しいのが現実。なかなか就労できないのは雇用主の理解がないところも大きいと思う。
なは倶楽部には自分の居場所があるという感じがします。気のあう仲間もいるし、仕事もあるし、お金も入る、そして親も安心する、というように全部よい方向にいく要素が揃っているんだと思います。

同じく副所長の長嶺紀綱さんは、統合失調症ではないが、過度の薬物依存から立ち直ったという壮絶な経歴をもつ。なは倶楽部との出会いが立ち直るきっかけとなり、いまではなは倶楽部が心の拠りどころと熱く語ってくれた。

長嶺 紀綱さん(なは倶楽部・副所長)

薬物依存から立ち直れたのはふれあいセンターやなは倶楽部の仲間と出会えたから。自分でも信じられないぐらい変わったと思う。昔は親に手をあげたこともあったけど、苦労をかけた分、いまはできるかぎり親孝行しようと思っています。小さなことでも、自分にとっては大きな親孝行。頭を丸めているのも、今までの自分を反省するためで、自立するまで髪を伸ばさないって決めています。
なは倶楽部は自分にとっての心の拠りどころですね。この作業所に出会わなかったら今の自分はいないと思います。

2人の副所長の言葉からも、なは倶楽部がメンバーにとって自分の居場所となっていることがひしひしと伝わってくる。よき仲間との交流が、症状や心の安定をもたらし、働くことや社会参加への意欲を育んでいるのだろう。

なは倶楽部になってからメンバーの自覚が芽生えた

なは倶楽部と同じビルにはグループホーム「がじゅまる」がある。その世話人である嘉手川重三さんは、なは倶楽部の隣にある食堂の経営者だ。ふれあいセンターの頃からメンバーを見守ってきた嘉手川重三さんは、なは倶楽部のメンバーについてこう語る。

嘉手川重三さん(グループホームがじゅまる・世話人)

昔からのメンバーは、なは倶楽部に移ってきてから、「自分たちがやらなきゃ」っていう意識がどんどん高まったように感じますね。ここでの活動を通じてメンバーはかなり成長したと思います。手が空いたときはこちらの食堂の手伝いもしてくれるのでとても助かっていますよ。

また、嘉手川重三の娘さんで嘉手川えりかさんはなは倶楽部専任の職員だ。父親の仕事の手伝いを通じて高校生のころからメンバーと関わってきた。ただ、職員であるえりかさんはあくまでもサポートに徹するだけで、作業所の運営は当事者に任されている。

嘉手川えりかさん(なは倶楽部・専任職員)

普通の作業所だとしっかりとした職員がいて、その人が中心となって運営されていると思いますが、うちはあくまでも精神科に通院している仲間たちで運営していますから、各メンバーの自覚が芽生え、働く意欲が出てくるのだと思います。高校生の頃からここのメンバーの人たちと触れ合っていますが、みんな本当に生き生きしてきたなぁって実感します。