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疾患を超えて

私の体験談

デイケアや作業所について
「夫の病気から作業所づくりに関わって」

夫は高校の教師でしたが、昭和62年に精神のバランスを崩し、近くの病院に入院。すぐに復帰できるだろうとの意に反し、だんだん悪化。とうとう完全に退院するまでに5年半を要しました。その間に失職。中学生の子供2人を抱え、家のローンもまだ半分という状態で、目先真っ暗、生きるすべてに希望を失い、誰にも会いたくないという状態が長く続きました。夫46歳、私が38歳のときでした。

当の本人に何を相談しても意思疎通は皆無。夫婦の間には突然鉄のカーテンがドスンと降りたような殺伐とした空気がありました。「この世にどうしてこんな不可解な病気があるのだろう。医者はどうして治せないのだろう」と見舞に行った病院の廊下を、夢遊病者のように歩いていた自分の姿を記憶しています。

そんなことで1年半が過ぎたころ、主治医の先生や看護師・福祉関係者等が中心となって、地域に精神障がい者のための作業所を作ろうという運動がこの田辺市に起こりました。

「病気は病院でしか治せないもの」というそれまでの世間一般の固定観念は、だんだんと薄れていき、私もいつの間にか、その運動の輪の中に入っていました。皆の支援を受けて家族会がつくられ、私が会長になり、現在に至っています。 あれから、15年......。作業所は社会福祉法人となり、メンバーが100人、職員も50人のマンモス所帯となっています。上の子供はその後、ドイツに留学、6年が経ちました。ドイツの福祉に興味をもち、情報を知らせてきています。私は作業所へ通う夫を抱えながらも、それなりのいくつかの趣味をもち、まずは元気にすごさせてもらっています。

夫の病気は確かに我が家にとって最悪の不幸な出来事でしたが、そのことによって学ばせて頂いた、気づかせた頂いたことは、そのマイナスを上回るプラスなものであったと思うこのころです。そしてこの病気にとって大事なものは「早期発見、早期治療。適切な薬。何でも話せる医者。家族治療もできる医者。開放的な病棟。社会復帰施設の拡充。病気に対する家族への教育。行政の意識改革。関係機関のネットワークづくり。偏見差別に対する地域への啓蒙啓発活動など」ではないかと強く実感しています。

和歌山県 早稲田早苗(家族)

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